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大阪地方裁判所 昭和58年(ワ)8110号 判決 1985年4月26日

原告

森川清一

原告

森川隆

右原告両名法定代理人親権者母

森川敬子

原告

森川敬子

右原告三名訴訟代理人

浦功

菅充行

被告

日本タクシー株式会社

右代表者

坂本長作

被告

橋本学

右被告両名訴訟代理人

川田祐幸

主文

被告らは各自、原告森川敬子に対し、六六九万二九三二円およびうち六〇九万二九三二円に対する昭和五五年九月一九日から支払済まで年五分の割合による金員を、原告森川清一に対し、六六九万二九三二円およびうち六〇九万二九三二円に対する前同日から支払済まで年五分の割合による金員を、原告森川隆に対し、六六九万二九三二円およびうち六〇九万二九三二円に対する前同日から支払済まで年五分の割合による金員を支払え。

原告らのその余の請求をいずれも棄却する。

訴訟費用はこれを一〇分し、その一を原告らの負担とし、その余を被告らの負担とする。

この判決は原告ら勝訴の部分に限り仮に執行することができる。

事   実≪省略≫

理由

一事故の発生

請求原因第1項の事実は当事者間に争いがない。

二責任原因

請求原因第2項の事実はいずれも当事者間に争いがない。

したがつて、被告会社は、自賠法三条もしくは民法七一五条により、被告橋本は、民法七〇九条により、それぞれ本件事故による損害を賠償する責任がある。

三損害

1  訴外治三郎の受傷と治療経過等

(一)  請求原因第3項(一)の(1)(訴外治三郎の受傷と治療経過)、2(訴外治三郎の自殺)の事実はいずれも当事者間に争いがない。

(二)  訴外治三郎の自殺と本件事故との因果関係

右争いのない事実に、<証拠>によれば、次の事実が認められ、右認定を左右するに足りる的確な証拠はない。

(1) 訴外治三郎は、昭和四二年一〇月に原告敬子と結婚し(届出は昭和四三年五月二七日)、昭和四五年九月二六日に原告清一、昭和四七年六月三日に原告隆が出生した。

訴外治三郎は、結婚当時は、日棉実業株式会社で食堂の調理師として勤務していたが、その後有限会社芦の屋に勤務を変え、昭和四三年頃に柴藤に転勤し、昭和四六年頃から再び有限会社芦の屋に調理師として勤務するようになり、同社では社員食堂と国鉄の社員食堂の調理主任をしていたが、本件事故直前の昭和五五年九月から仕入れ係の主任に配転となつた。

訴外治三郎の性格は明るく外交的で、五才の頃に結核性骨髄炎で股関節の物療を受け、その後遺症でわずかに足跛行があるが日常生活上の不便はほとんどなかつた。

訴外治三郎には、精神的に異状と思われる点はなく、健康であり、夫婦仲もよく、子供にもやさしいし、経済的にも困るようなことはなかつた。訴外治三郎は、仕事面でも職場の仲間や会社からの信頼も厚く、真面目で几帳面な性格であり、仕事熱心であつた。

趣味はパチンコが好きなくらいで、かけ事や酒におぼれるようなことはなく、本件事故前には、訴外治三郎が自殺するような原因は皆無であつた。

(2) 訴外治三郎は、昭和五五年九月一九日、本件事故により頸推捻挫等の傷害を受け(この事実は当事者間に争いがない。)、行岡病院で診察を受けたところ、レントゲン検査では頸椎には異状はない、と診断された。

しかし、翌九月二〇日には、頸から後頭部にかけて痛みがひどくなつたために田村外科で診察を受け、同病院で一五日間入院して診療を受けた。その間頸部の痛みを訴えていたが脳波には異状はなかつた。

(3) 訴外治三郎は、昭和五五年一〇月六日に田村外科を退院したが、体の調子は必ずしも良好ではなく、翌一〇月七日から昭和五五五年一一月一七日までの間に三〇日間病院に通院して診療を受けた。その間の一〇月九日に自動車に乗つたところ、振動で頸が痛くなると訴え、またリハビリをかねて出社もしたが、頭痛がひどく、手も震えて仕事ができないとのことで、すぐ帰宅したこともあつた。

(4) 訴外治三郎は、昭和五五年一一月中旬頃から次第に頭痛がひどくなり、昭和五五年一一月一八日に大阪市大附属病院整形外科で診療を受け、昭和五五年一二月一三日までの間に五日間同病院に通院し、投薬治療を受けた。しかし、頭痛がひどくなり、頸肩部のこりとつつぱり感など一段と強度となり、吐き気、全身倦怠、脱力感、疲労感、強度の不眠などの症状の改善はなく、右病院の医師に対し、右症状を訴えても、「大したことはないから、薬を飲んでおればよい」と言われて一層不安になつてきた。

(5) 訴外治三郎は、昭和五五年一二月頃からは仕事に行かねばならないといつて無理をして昭和五五年一二月三日から同月九日まで出社したが、頭痛がひどく、手のしびれのために仕事も思うようには出来なかつた。帰宅後も子供のベッドの横でぐつたりしている状態であつた。

昭和五五年一二月一四日にはますます頭重、頭痛がひどくなり、元気がなくなつてきた。同年一二月一五日からは、夜間全然眠れず、急に口数も少なくなり、笑顔を見せることもなく、また食欲もほとんどなくなつた。同年一二月一六日には、体重が三キログラム減つたといい、同日も全然眠れず朝まで起きていた。同年一二月一七日も全然眠れず、朝まで起きていたが、妻である原告敬子に対し「とうとう神経にまできた、眠れない、頭が痛いし、ひどい後遺症が出てきた」と訴えた。

(6) 訴外治三郎は、昭和五五年一二月一八日朝、吐き気があり、手も震えていた。同日、実兄にすすめられて医療法人南労会松浦診療所で診察を受けた。

右診療所では「右頸肩背部に圧痛が著明に認められ、全体に筋緊張が亢進している。頸椎運動制限を中等度に認める(前屈三〇度、後屈二九度、右側屈一四度、左側屈一九度)、椎運動時痛も全方向で強度に認めた。神経テストは陰性、手指振せんをわずかに認めた。握力右四五kg、左五二kgと右が軽度低下、以上の所見から中等度の外傷性頸部症候群」と診断され、けん引、ホットパック、針灸治療、湿布薬投薬および不眠に対してセパゾン七日分の投与を行つた。

(7) 訴外治三郎は昭和五五年一二月一九日朝も吐き気があり、手の震えを訴え、同日、前記松浦診療所へ行つて物療を受けた。その後、勤務先である芦の屋へ行き、帰宅したが、その晩は一睡もしなかつた。翌一二月二〇日午前七時三〇分頃、訴外治三郎は、出勤の用意をしている様子であつたが、ひどい嘔吐があつた。

原告敬子は、同日午前九時頃、パート出勤のために外出した。その間に訴外治三郎は、自宅において、こたつに足を入れ、ガス管を口にくわえ、その上にビニール袋を頭からかぶつて自殺をはかり、同日午前一〇時頃酸欠による窒息死した(訴外治三郎が自殺した事実は当事者間に争いがない。)。

(8) 訴外治三郎は、本件事故以前は月に四〜五回の交渉があつたが、本件事故後には、インポテンツとなつて全く没交渉となり、これは自殺した日まで続いた。また訴外治三郎は、本件事故前は、趣味であるパチンコにもよく行つたが、本件事故後は行く気がしないとのことで全く行かなかつた。

以上の認定事実を総合すると、訴外治三郎は、本件事故により、頸部挫傷等の傷害を受け、事故後一か月余りは、まだ元気も良く特に自信を喪失した様子はなかつたが、昭和五五年一一月中旬頃から頭痛などが増強するに及んでそれまで順調に進んできた生活が崩れ、強度の睡眠障害、嘔吐、食欲低下、体重減少、全身倦怠、疲労感、耐久力のなさ、性欲低下、趣味に対しても興味がわかない等の症状により自己の身体に自信をなくし、病気に対する不安や、手のしびれ等から仕事がうまくできなかつたことに対する強度の不安等から次第に抑うつ症状が加わり、自殺前四〜五日間はほとんど眠れず、自己の状態を悲観して抑うつ症状が一気に増悪して自殺したものと推認される。

このように、訴外治三郎の自殺は、本件事故による受傷が誘因となり、うつ状態あるいはうつ症候群によつて引き起こされたものというべきである。

被告らは、訴外治三郎の自殺は、内因性うつ病によるものである旨主張するけれども、前記認定の訴外治三郎の本件事故前の性格および前掲甲第一五号証の記載に照らして、内因性うつ病であつたとは認め難く、前掲甲第九号証によれば、訴外治三郎には、遺伝的素因も認められず、甲状線機能異状をはじめとした内科的疾患に基づくうつ状態であつたとも認め難い。

右に認定したように、本件事故による訴外治三郎の受傷と自殺との間には、事実的因果関係のあることは明らかであるが、相当因果関係があるといえるかについては問題がないわけではない。

不法行為により傷害を受け、その苦痛に悩まされた被害者が、絶望のあまり死を選ぶことは決して有り得ないことではなく、予見不可能な希有の事例であるとは思われないし、交通事故により被害を受けて苦しむ人の悲惨さを思うときに、自殺が本人の自由意思であるとして相当因果関係を否定するのは、損害の公平な負担の理念に反し妥当でないといわなければならない。

もつとも、自殺の場合には、本人の自由意思による面があることも否定することはできないので、通常人ならば必ず自殺するという事例ならばともかく、そうでない場合には、被害者の被つた損害そのすべてを本件事故によるものとして被告らに賠償させることは、被告らに対し酷に失するものと考えられる。

したがつて、自殺を選択した自由意思の程度や通常人が同一の状態におかれた場合の自殺を選択する可能性等を比較しながら、事故による受傷の自殺への寄与度を勘案し、その割合に応じて被告らに賠償責任を認めるのが、発生した損害の公平な負担の理念にかなうものというべきである。

右の見地から訴外治三郎の被つた損害に対する本件事故の寄与度をみると、前記認定の本件事故の態様、訴外治三郎の傷害の部位、程度、治療経過、後遺障害の内容程度、事故後の状況等の諸事情を勘案して、訴外治三郎の被つた損害のうち死亡による損害に対する本件事故の寄与度は四〇パーセントとみるのが相当である。

2  治療費 四万八四六〇円

〈証拠〉によれば、訴外治三郎は、昭和五五年一一月一八日から昭和五五年一二月一三日までの間に四日間大阪市立大学医学部附属病院に通院し、治療費として合計四万八四六〇円を要したことが認められる。

3  入院雑費 一万五〇〇〇円

訴外治三郎が一五日間田村外科に入院したことは、前記のとおりであり、右入院期間中一日一〇〇〇円の割合による合計一万五〇〇〇円の入院雑費を要したことは、経験則上これを認めることができる。右金額を超える分については、本件事故と相当因果関係がないと認める。

4  訴外治三郎の死亡による逸失利益 二一八八万二三三八円

〈証拠〉によれば、訴外治三郎は、本件事故当時三五歳の健康な男子で、有限会社芦の屋に調理師として勤務し、一か年平均四一五万五六五三円の収入を得ていたことが認められるところ、同人の就労可能年数は死亡時から三二年、生活費は収入の三〇パーセントと考えられるから、同人の死亡による逸失利益を年別のホフマン式により年五分の割合による中間利息を控除して算定すると、五四七〇万五八四七円となるが、前記三の1(二)に認定のとおり本件事故の寄与度は四〇パーセントと認めるのが相当であるから、訴外治三郎の死亡による遺(ママ)失利益は、二一八八万二三三八円となる。

(算式)

四一五万五六五三円×〇・七×一八・八〇六=五四七〇万五八四七円

五四七〇万五八四七円×〇・四=二一八八万二三三八円

5  訴外治三郎の慰謝料 五三〇万円

本件事故の態様、訴外治三郎の傷害の部位、程度、治療の経過、後遺障害の内容程度、訴外治三郎の年令、親族関係、自殺するに至つた経緯、その他本件に現われた諸般の事情を考えあわせると、訴外治三郎の入、通院による慰謝料額は五〇万円、死亡による慰謝料額は、一二〇〇万円と認めるのが相当であるところ、前記三の1(二)に認定のとおり本件事故の寄与度は四〇パーセントと認めるのが相当であるから訴外治三郎の死亡による慰謝料額は四八〇万円となり、結局訴外治三郎の慰謝料額は合計五三〇万円と認めるのが相当である。

6  原告らの相続

請求原因第3項(六)、(1)の事実は当事者間に争いがなく、弁論の全趣旨によれば、訴外治三郎には、原告ら以外に相続人がないものと認められるから前記三の2ないし5の損害賠償請求権を法定相続分に従い、それぞれ三分の一である九〇九万一九三二円を相続によつて取得した。

7  損害の填補

請求原因第3項(七)の事実は、当事者間に争いがない。

そうすると、原告らの前記三、6で認定した九〇八万一九三二円の損害額から右填補分二九八万九〇〇〇円を差引くと、原告らの残損害額はそれぞれ六〇九万二九三二円となる。

8  弁護士費用

本件事案の内容、審理経過、認容額等に照すと、原告らが被告らに対して本件事故による損害として賠償を求め得る弁護士費用の額は各六〇万円と認めるのが相当である。

四結論

よつて被告らは各自、原告森川敬子に対し、六六九万二九三二円およびうち弁護士費用を除く六〇九万二九三二円に対する本件不法行為の日である昭和五五年九月一九日から支払済まで民法所定の年五分の割合による遅延損害金を、原告森川清一に対し、六六九万二九三二円およびうち弁護士費用を除く六〇九万二九三二円に対する前認定どおりの同日から支払済まで民法所定の年五分の割合による遅延損害金を、原告森川隆に対し六六九万二九三二円およびうち弁護士費用を除く六〇九万二九三二円に対する前認定どおりの同日から支払済まで民法所定の年五分の割合による遅延損害金を、それぞれ支払う義務があるから、原告らの本訴請求は右の限度までそれぞれ理由があるので正当としてこれを認容し、その余の請求はいずれも理由がないので失当としてこれを棄却することとし、訴訟費用の負担につき、民事訴訟法八九条、九二条、九三条、仮執行の宣言につき同法一九六条をそれぞれ適用して、主文のとおり判決する。

(喜如嘉 貢)

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